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あなたも脳神経外科医にならないか?            

北里大学医学部脳神経外科の隈部俊宏と申します。どうぞよろしくお願い申し上げます。

 卒業して34年が経つのにも関わらず、学生だったのはつい先日の様な気がします。人は辛いことを忘れてしまう様に精神構造を作られているのでしょうが、間違いなく楽しい日々を過ごしました。

 卒業したのは東北大学です。東北大学生は鈍臭い格好をしていて、その当時「いかとん」(いかにも東北大学生)と呼ばれていました。

 学生自体何をやっていたかと聞かれると、軟式テニスと麻雀ばかりやっていた様に思います。乱打をしていた時の相手の球の癖や、レシーブの時に前衛にアタックをして見事に止められたことなどを、暑い日差しの光と影の中で鮮明に思い出すことができます。6年生の東医体では個人戦でベスト8に入り、全医体の東西対抗戦にも選ばれました。また、麻雀では、どういう点数背景の中で、どういう手作りをして、どういう上がり方をしたかなんかも赤裸々に思い出せます。そもそも「麻雀ノート」何ていうものが取ってあったのですから。

 昔はアパートのコタツで、手積みで、徹夜で麻雀していたため、日中のハードなテニスの練習と合間って、見事にその後30歳代後半でL5/S1の椎間板ヘルニアの手術をして頂くことになります。その摘出した椎間板は、今も教授室の棚にホルマリンに浸かって取ってあります。ここから私のDNAは抽出できます。

 こんなことを書いていると不謹慎だとお叱りを頂戴するかもしれません。しかし試験は一つも落としませんでした。全て一発で通しました。そんなことができたのも、情報を流してくれた同級生と、酒を飲みながらポイントを教えてくれた先輩のおかげだと思います。

 ちなみに軟式テニスと麻雀ばかりと書きましたが、試験前は相当集中して勉強しました(したはずです)。3年生(教養部が2年間ありましたので、学部1年、すなわち「学1」と呼ばれていました)の全医体は熊本で開催されたのですが、皆が「火の国まつり」というお祭りに浮かれている中、旅館の片隅で解剖(その当時3年生の最大の試練は解剖でした)の本 (Feneis, Clementeだったと思います)を必死で読み込んでいた思い出があります。そもそもテニス道具の他に、重い学術書を持って行ったのは大変でした。

 解剖の教授(石井敏弘教授)は、それはそれは厳しい先生でした。他にも当然授業があったのですが、解剖のその日のdutyをこなすためには、他の授業に出ず夜中までかかって解剖をしてレポートを仕上げていました。そう言いながら解剖室の隣がテニスコートだったため、日中はテニスに興じていたのですから、何をやっていたのかわかりませんね。聞くと驚かれるかもしれませんが、ホルマリン漬けの献体を素手で解剖していました。おかげで小指球はふやけて、テニスで豆はできるわ、ホルマリンで滲みるわで、ボロボロでした。

 石井先生は恐ろしく学問に対して真摯で、一方で解剖学が好きで好きでたまらず、真剣に解剖学の面白さを教えようとされていたのだと、今も感謝しています。

 5年生(学3)では、秋から臨床修練 (small group teaching, SGTと呼ばれていました)が始まりました。私は初めに回ったところが脳神経外科でした。そこで恩師である鈴木二郎教授に出会いました。人が生きていく中で一番大事なのは出会いであると思います。これはある部分偶然ではなく、必然であるのに違いありません。

 初めて二郎教授を見たときに、背中に五輪を背負っている様に感じました。ほとんど毎日教室に泊まり込んで(「蚕棚」という名前で医局の天井に寝床が作ってありました)、回診について、手術に入り、飲みに連れて行ってもらいました。野球がお好きで、医局対抗の野球の試合で4連覇したと言っては、優勝トロフィーで乾杯されていました。しかし臨床では本当に厳しい先生でした。当時の教授回診は患者さんの脇で全てのデータを提示してdiscussionになります。presentationの仕方からfilmの提示の仕方、そして学問的背景まで、喧々諤々のやり取りとなります。時として一人の患者さんの前で30分くらいこの熱いbattleが行われたのです。これらを見ていて、全く他の科を回る前に、「入局させてください」と宣言を致しました。二郎先生は人を惹きつける火の玉の様な熱いエネルギーの塊の化身で、一方、脳神経外科学を心底楽しんで仕事をしている姿が見て取れました。またそこにいる医局の先輩たちも、ボロボロになるくらい辛い仕事をしているにも関わらず、楽しんで仕事をされていました。私が元々単純な性格をしているのもありますが、脳神経外科を選んだのは、今も間違いない判断であったと思っています。

 人には人の生き方がありますので押し付けるつもりはありません。「熱くなってんじゃねえよ」と言われる方もいると思います。でも私は熱く生きてきて何一つ後悔することはありません。

 時代が進み医学はより精緻になりました。覚えることだけで精一杯、分からないことなんて一つもない、と思っていませんか。そんなことは全くないのです。医学は楽しいです。分からないことは無限にあります。その分からない所があることに気づくかどうかです。自分の人生をかけて、エネルギーを注ぎ込んで、ただ一つのことを解明して、「こうなっているんだよ」と楽しげに話す自分を夢見ませんか。

 あなたも脳神経外科医になりませんか?北里大学はあなたの参加を待っています。

                            脳神経外科主任教授 隈部俊宏


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